狭き門もいいけれど
狭き門を行け
B'zユートピアの1フレーズ。
新約聖書「狭き門より入れ」が元ネタかもしれないが、私は
努力の方向 (戦略とゆーかもしれないが) を間違わず
日々続けてくことができれば、狭き門を通り
思い描いたステージにいくことができると解釈している。
もし狭き門に入れなくても、入れた人との違いを知ることができれば
自分の改善点が見え、先に進めると考えていた。
でも、このコロナ禍でそれは崩れてきたように思う。
経済活動が停滞している状況で、窮地に立たされている人と潤っている人がいるが、それは
「狭き門に入れたか」「戦略的に努力を重ねてきたか」とは、あまり関係ないと感じている。
どの業種・立場にいたかの問題だけではないか、と。
私の勤務している会社はコロナ需要で収益が大幅アップした。
が、営業に聞くと商談は例年の半分程度。新しい取引先を開拓したわけでもない。
単に商品の大量発注により売上が伸びただけである。
狭き門の先にユートピアがあるのは、世界が健全であることが前提となっている。
「戦略的に努力を続け、結果を出すことができれば、狭き門を行き望んだステージにいくことができる」という健全な世界。
コロナのような予期しなかった世界規模の嵐がやってきて、この前提が崩れたのではないか、と。
リーマンショックなど世界規模の嵐はこれまでにもあったが、今回ほど大きな嵐を経験したことが私はない。
生活タイルをここまで変えるかどうかはわからないが、きっと嵐はこの先も不定期にやってくる。
狭き門を行くことはもちろん大切。戦略を練って努力を続けなければいけない。
が、それだけでは不十分なのかもしれない。
嵐は否応なしに人を巻き込んでいく。
多かれ少なかれ、いろいろな人に影響を及ぼす。
そのときに、狭き門1つを進んでいくのだけでは厳しい。
ほどほどの門をいくつも進んでいることも必要ではないか、と。
ひとつの門が危うくなったときのために、複数の門を進んでいれば選択肢が増える。
ほどほどの門に助けられることもあるだろう。
今年は狭き門を進みながら、ほどほどの門も進むことができるようにしたいな、と思うのです。